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名古屋地方裁判所 昭和27年(わ)1054号 判決

主文

被告人安藤宏、同杉山武、同竹内秀仁、同田中昭一、同水谷繁、同水野雅夫を各懲役三月に処する。

この裁判確定の日から右各被告人に対し一年間右刑の執行を猶予する。

被告人近藤孝は無罪。

理由

第一章  罪となるべき事実

第一節  騒擾発生までの経緯 省略

第二節  騒擾 省略

第三節  別動隊の行動 省略

第四節  各被告人の行為

本件騒擾に際し、

一  被告人安藤宏は市V傘下の明和細胞キヤツプで民青団明和班員であつたが、

(1) 第一節第二款第五の一認定の通り、同月四日中区裏門前町一丁目岩田信市方で開かれた民青団明和班会議に出席し、被告人水野雅夫、同岩原靖幸、小山栄三、羽田野道春、北島万次、谷沢光治等と共に民青団県指導部キヤツプ吉田昭雄から、七・七歓迎大会後デモを行ない中署へ押しかける、デモ行進の武器として火焔瓶等を準備するが、詳細は追つて知らせる等の指示を受け、

(2) 同第六の三認定の通り、同月五日東区神楽町三丁目水野雅夫方で行なわれた明和細胞会議で、被告人水谷謙治より、前記大会後デモを行ない中署、アメリカ村を火焔瓶で攻撃すること、そのため警察の動きを調査報告すること等の指示を受け、自ら議長となつてピケの人選、拠点等について協議決定し、

(3) 同月七日大会後に予定された無届デモに対する警察の措置に対処して戦うため、デモ隊が火焔瓶を投げる等の暴行をなすことを予測しながら、犠牲者の発生を避けデモ隊の行動を適切ならしめる目的をもつて、同第八の五認定の通り、同日午前十時頃から午後九時三十分頃までの間、自ら直後に、又は高木庸吉等八名の民青団明和班員を指図して、大須球場、中署、アメリカ村附近の警察の動向に関する情報を収集し、これを伊藤明人方で被告人水谷謙治又は同加藤和夫に報告して、地下指導部の被告人永田末男等が警察の警備態勢に応じた行動を決定するための情報を提供し、

二  被告人杉山武は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかも知れないと予想しながら、右隊列に加わつて岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地附近にさしかかつた際、第二節第一認定の通り、デモ隊中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれ、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によりデモ隊が一旦分散させられた後も、同第四認定の通り、多数の者が同通り四丁目八番地空地及びその附近から警官隊に罵声を浴びせ、火焔瓶、石を投擲するのを認識しながら、これを共にする意思をもつて、同所より北方岩井通り車道上で警備活動中の警官隊に対し、いずれも鶏卵大の石を二回位投げつけて暴行し、

三  被告人竹内秀仁は第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれ、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によりデモ隊が一旦分散させられた後も、同第四、第五、第七認定の通り、多数の者が岩井通り四丁目八番地大須交叉点附近で、警備の警官隊に火焔瓶、石を投擲するのを認識しながら、これを共にする意思をもつて、午後十時三十分過頃裏門前町通りと仁王門通りの交叉点附近で、南方で警備活動中の警官隊に直径三糎位の石一個を投げつけて暴行し、

四  被告人田中昭一は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかもしれないと予想しながら、隊列先頭四列目位に加わつて岩井通りを東進し、同通り四丁目四番地附近にさしかかつた際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれるのを認識しながら、これを共にする意思をもつて、右放送車に三、四個の石を投げつけて暴行し、

五  被告人水谷繁は第二節第一、第二認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれ、警官隊の実力行使によりデモ隊が一旦分散させられた後も、同第四認定の通り、岩井通り四丁目八番地空地附近で多数の者が警備の警官隊に火焔瓶、石を投擲するのを認識しながら、これを共にする意思をもつて、午後十時四十分頃西大須交叉点東北角岩井通り三丁目一番地附近で、同所南方岩井通り車道上を警備のため出動東進中であつた警察官搭乗の自動車に、コンクリート片一個を投げつけて暴行し、

六  被告人水野雅夫は第一節第四款第一の三認定の通り、多衆が大須球場内でデモ隊列を組んで行進を開始すると、これらの者が同球場外で、警備のため出動している警官隊と衝突して暴行をするかも知れないと予測しながら、火焔瓶一個を持つて隊列前部に加わり「わつしよ、わつしよ」と叫んで岩井通りを東進し、同通り四丁目八番地空地東の同番地前南側車道附近にさしかかつた際、第二節第一認定の通り、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶を投げつけ発火させる等の暴行が行なわれ、同第一、第二認定の通り、警官隊の実力行使によりデモ隊が一旦分散させられた後も、同第四認定の通り、多数の者が岩井通り四丁目八番地空地及びその附近から警備の警官隊に罵声を浴びせ、火焔瓶、石等を投げつけるのを認識しながら、これを共にする意思をもつて、

午後十時三十分頃同通り四丁目二番地附近歩道上から、東南方岩井通り車道上で警備活動中の警官隊に、火焔瓶一個を投げつけ発火させて暴行し、

以ていずれも他人に率先して騒擾の勢を助けたものである。

第二章  証拠の標目(省略)

第三章  法令の適用

一  被告人安藤宏、同杉山武、同竹内秀仁、同田中昭一、同水谷繁、同水野雅夫の各所為は、刑法第百六条第二号後段に該当するので、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、同法第六十六条、第七十一条、第六十八条第三号を各適用して酌量減軽した上、それぞれ懲役三月に処し、同法第二十五条第一項を適用して、この裁判確定の日からそれぞれ一年間刑の執行を猶予し、刑事訴訟法第百八十一条第一項但書に従い、右各被告人に訴訟費用を負担させない。

二  被告人水野雅夫に対する公訴事実中、昭和二十七年七月七日午後十時三十分頃名古屋市中区岩井通り四丁目三番地先附近北側歩道上で、治安を妨げ人の身体財産を害する目的を以て、警備の警察職員に爆発物である火焔瓶一個を投擲爆発させたとの点について、本件火焔瓶は、当裁判所の証人山本祐徳に対する尋問調書、鑑定人伏崎弥三郎作成の鑑定書、宮沢政雄の検察官に対する27・10・29供述調書、被告人山田順造の検察官に対する27・8・17、9・9供述調書、同趙顕好の検察官に対する第四回供述調書によると、硝子瓶に濃硫酸とガソリンを前者を一、後者を二から四の割合で入れて密栓し、瓶の外側に少量の塩素酸カリウムを塗つた紙片を貼付して造られたもので、これを路面等に投げて瓶を破壊すると塩素酸カリウムと濃硫酸が接触化合して化学反応を起し、爆発的分解による発火が起り、ガソリンに引火して燃焼作用が生ずるものであるが、塩素酸カリウムと濃硫酸の接触による化学的爆発は、塩素酸カリウムが少量であるため直接に物を破壊する力がないこと、及びその燃焼作用は燃焼の程度、範囲、時間においてガソリンにマツチで点火したと同一であることが認められる。然るに爆発物取締罰則の爆発物は、理化学上の爆発現象を惹き起すような不安定な平衡状態において薬品その他の物が結合した物体で、その爆発作用そのものによつて公共の安全を乱し、又人の身体財産を傷害損壊するのに十分な破壊力を有するものでなければならないものであるから、右火焔瓶は同罰則にいわゆる爆発物には該当しないことが明らかで無罪であるが、右は判示騒擾の所為と一所為数法の関係にあるものとして起訴せられたものであるから、主文において無罪の言渡をしない。

第四章  無罪に関する説明

本件騒擾は第一章第二節で説明した通り、七月七日午後十時五分乃至十分頃岩井通り車道上で、デモ隊列中より警察放送車に火焔瓶、石等を投げつけた時に始まるのである。検察官は、大須球場内で火焔瓶、竹槍等を持つた千数百名の集団が、「中署へ行け」、「アメリカ村へ行け」、「やつつけろ」等と怒号しながらスクラムを組み喚声を挙げて蛇行した行動も、聴衆、附近住民、治安機関に対する脅迫行為で騒擾になると主張する。なるほど、右球場内で右のような物を持つた者を含むデモ隊列が組まれた時、場内各所からそのような叫びが起り、喚声を挙げて行進したことは前認定の通りであるが、その怒号は中署、アメリカ村へ行くこと、警察をやつつけることを内容としていて、聴衆や附近住民を対象としていないことは明らかであるから、これらの者に対する脅迫行為と考えることはできない。それでは治安機関(主として警察)に対する脅迫になるかというと、右怒号は、第二百六十一、二百七十五回公判調書中の証人山田太三の供述記載によると、球場南側塀外の民家二階で場内の情況を注視していた同証人が、これを聞いて中署に報告したことが認められるけれども、受命裁判官の証人伊藤栄、同林勇平に対する各尋問調書によれば、その頃同球場の周辺で場内の模様を警戒していた同証人等には、怒号の内容が聞きとれず、ただ「わあわあ」という声が聞えただけで、他にその内容まで聞いたという証拠がないので、球場周辺の他の情報係や警備の警察官にもその内容は判らなかつたと推定できることと、裁判所の第一、二回検証調書により明らかなように、右デモ行動は周囲を高い塀で囲まれて外部より隔てられ、警察官が居たと認められない球場内で行なわれたものであること等を総合すれば、これが球場周辺や中署の警察官に対する脅迫になるとは考えられない。又検察官は、同球場外でのデモ行進も脅迫になると主張する。なるほど、受命裁判官の証人吉田国雄に対する37・8・6尋問調書によると、デモ隊が球場より岩井通りに出る頃、隊列中で「中署へ行け」、「アメリカ村へ行け」という声があつたこと、第四百六十三回公判調書中の被告人水野裕之の供述記載、同被告人の検察官に対する第二回及び27・7・22供述調書によると、岩井通りを行進中のデモ隊員のうちプラカードを壊して柄だけにした者がいたこと、第七十九回公判調書中の証人田中国臣、第二百八十一回公判調書中の証人小林甲子雄の各供述記載によると、同証人等は岩井通りのデモ隊の行進を見て、異様に感じ物凄いと思つたこと等が認められるけれども、前二者が附近住民や警察官に対する脅迫であるとは認められないし、後者によつてもこれらの者に対する何かの脅迫行為が行なわれたと考えることはできない。

以上の通りであるから、警察放送車に火焔瓶が投げられる前の大須球場内及び岩井通りにおけるデモ行進は、日常行なわれる平穏なデモに比較すれば少しばかり異様であつたかも知れないが、暴行も脅迫も行なわれない単なる無届の集団示威行進に過ぎず、騒擾罪を構成しない。従つて被告人等の行為のうち、警察放送車に火焔瓶が投げられる前のデモに参加し、又は関与した行為は罪とならない。

被告人近藤孝に対する公訴事実は、「被告人は本件騒擾に際し、同日午後十時過頃岩井通り三丁目十三番地先北側歩道上に於て右暴徒の一員として暴徒の隊列に対し「やれやれ」と叫んでその気勢を挙げ、更にその頃同所附近に於て南方に投石せんとする等の暴行を為し、他人に率先して勢を助けた」というのである。然し第一章第二節で認定した通り、本件騒擾はデモ隊列より放送車に火焔瓶を投げた時に始まり、それ以前のデモは騒擾ではないから、これに対し「やれやれ」と叫んだとしても、その行為を騒擾と考えることはできないばかりでなく、同被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、当公判廷での供述を総合すると、右声援の事実を認定することもできない。又「南方に投石せんとする等の行為」については、検察官の論告によると、石を拾い警備の警察官に投石せんとするなどしたということを指すのであるが、同被告人の司法警察員に対する第二回供述調書、検察官に対する供述調書、第一回公判調書中の同被告人の供述記載及び押収の小石(昭和三十四年押第三百七十号の証第六号)によると、本件騒擾発生後警官隊が群衆を岩井通り路上から排除するに際し、同通り四丁目三番地先歩道上にいた被告人の右腕を警杖で殴つたので、被告人は癪にさわり仕返しをしようと思つて、路上の小石を拾つたことが認められるけれども、ただそれだけで、投石していないのであるから、これを騒擾行為と認めることはできない。よつて同被告人に対しては刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡をする。

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